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攻めながら、守る。蚊焼(かやき)包丁の歴史と伝統~桑原鍛冶工房 3代目刀匠 桑原 和久さん~
2023.09.21

攻めながら、守る。蚊焼(かやき)包丁の歴史と伝統~桑原鍛冶工房 3代目刀匠 桑原 和久さん~

福岡から移住してきて早4年。「ほんのちょっとだけ人生が変わる出会いを、長崎で。」をコンセプトに、暮らしや仕事を通して出会い、人生が豊かになるキッカケを与えてくれた、魅力的な長崎人を紹介していきます。第3弾は、世界にここだけでしか手に入らない、切れ味抜群の「蚊焼包丁」の歴史と伝統を紡ぎ続ける「クリエイター」桑原鍛冶工房3代目刀匠の桑原さんにお話を聞きました!この記事を読んでくれた方が、1人でも会いに行ってくれますように。

出演者 & ライター

Featuring & Writer

ひとこと

暮らしのそばの、長崎人

Editor

坂井桂馬

DMO NAGASAKI

パブリックリレーター・ビジネスプロデューサー

福岡から移住してきて5年目。「ほんのちょっとだけ人生が変わる出会いを、長崎で。」をコンセプトに、暮らしや仕事を通して出会い、人生が豊かになるキッカケを与えてくれた、魅力的な長崎人を紹介していきます。

知られていない場所にこそ、絶対に会いに行って欲しい人がいる。

長崎市内中心部から車で南に向かうこと約30分。「蚊焼(かやき)」という町をご存じだろうか?穏やかな時間が流れるこの街は、昔から漁業が盛んな町で、海辺には煉瓦や石塀が多く残されている。私は、長崎市に暮らし始めた当時(今から約4年前)は、恥ずかしながら全く知らなかった。なぜなら、皆さんもよく知る長崎市の観光スポットというわけでもないので、どんな場所で、何ができるのか、そして、どんな人達がいるのかという情報と出会えなかったからだ。だからこそ今回は、1人でも多くの人に伝わり、そして広がり、多くの人に知ってもらえるように、長崎県指定伝統的工芸品”蚊焼包丁”職人、3代目刀匠の桑原和久さんを紹介したいと思う。

日本文化と南蛮文化が混ざり合って生まれた、ここでしか作れない包丁

この町は元々、刃物の焼き入れに適した水(湧き水)と土に恵まれていて良質な刃物を製造できていたのだが、1571年(江戸時代)に西洋に唯一開かれた貿易港として長崎港が開港し、そこから南蛮刀づくりの技法を取り入れ、切れ味と粘りを持った刃物になっていったそうだ。ちなみに、当時の薩摩藩の刀鍛冶に蚊焼包丁独特の切れ味や粘りなどを生む職人技を認められたことから、初代からずっと薩摩藩の家紋が刻印されているのだそう。職人ならではの手仕事で、時間を掛けて1本1本丁寧に作られており、長く使うことができるのはもちろんのこと、刃物の重力を感じながら細かな包丁捌きを体現することができ、長崎の漁業従事者や料理人を始め、多くの方々から好まれているということを、桑原さんは熱く語ってくれた。

手作業だからこそ、機械では絶対にできない”1つ1つ形が違う”包丁ができる。それが1人1人にとって使いやすい包丁になり、世界に1つの”その人だけのモノ”になっていく。

桑原さんは、高校卒業後18歳で2代目(桑原さんの父)に弟子入りをし、修行を積み、36歳の時に代替わりをして3代目として正式に跡を継いだそう。「仕事もバリバリ、柔道もバリバリで、常に元気バリバリにやっていた」と当時の豪快なエピソードを聞かせてくれた。確かに身体も大きくガッシリとした印象の桑原さん。勝手ながら職人さんは、どこか気難しく、固そうなイメージを持っていたが、「長崎の観光はもっとこんな風になればいいのに!」という話や、「もっとこんなことができるんじゃないか?」という熱い想いも語ってくれ、こんな職人さんもいるんだなと胸が高鳴った。

そして、包丁作りになると、頭の中でイメージした形を、繊細な技で具現化できるらしい。「これは何に見える?」と見せてくれた包丁。飛行機や新幹線、さらには鮫に見えるような遊び心のある包丁も設計図なしで作れるそう。豪快で、熱い一面もありながら、緻密なイメージと繊細な技で人々を魅了する。私が思う職人のイメージがガラッと変わった。まさにクリエイターなんだなと。

常に前を向いて、新しいことに挑戦。

さらにこんなことも話してくれた。「熊本や福岡の有名百貨店での対面販売では、蚊焼包丁の特徴や魅力を話すだけでなく、お客さまの困り事を聞き、そしてお客さま反応を見ながら1人1人のニーズにマッチするような提案をしていたら、毎回何千本も売れたよ」と。

なんと、営業もできるクリエイターなのか。

「でもね」と桑原さんは続けてくれた。「過去の成功に囚われ、今まで通りに仕事をしていても、新しいお客さまはやってこないし、リピーターは生まれない。これまでも変化を怖がらず、常に前を向いて、色んなチャレンジをしてきた。初代が当時の薩摩藩に認められたように、使ってみたい、使い続けたいと世界が認めてくれる包丁を作るために、技を磨き、命を削って伝統を守ってきた。だからAIなんかには絶対負けないね」と。

そんな桑原さんだが、2018年に脳梗塞で倒れ、右手が麻痺。半年間の入院後、懸命にリハビリをして、これまで技を磨いてきた右手ではなく、左手での仕事を強いられるように。そんなときに、長男 拡大(こうだい)さんが4代目を継承する決断をした。

どうにか、父の力になりたい。

それまでは父の仕事を継承することは考えていなかったそうだが、父の姿はもちろん、地元で長崎市を盛り上げるために頑張る同世代の姿にも刺激を受け、この決断をしたそう。

最初は慣れないことがたくさんで、「本当に継げるのか」というプレッシャーに押しつぶされそうだったらしいが、「力になりたい」という一心で食らいついていき、今では、11工程のうち3工程を任されるように。「俺は、拡大なら絶対にできると思った」そう話す桑原さんの顔は、今日1番キラキラしていた。

1人じゃ続けられない。家族がいるからこそ、続けられている。

これまでは妻と2人3脚、今では4代目拡大さんと家族で蚊焼包丁の歴史と伝統を紡いでいく桑原家だが、ここ数年の時代の変化は衝撃だったとのこと。「コロナ禍では本当に今までにないスピードで時代が変わっていったのがわかった。オンラインも発達し、簡単に商談もできるようになった。」そう話してくれた桑原さん。隣で拡大さんも大きくうなずいている。「でも…」と桑原さんは、拡大さんにまなざしを向けながらこう続けた。「要領よく、手際よくやるのもいいが、私達の商売は『人』を相手にする仕事。だからこそ、時間をかけて包丁を手に取ってくれる人達に会いに行き、想いや熱量を知ることが大事。もうひと手間をかけることをめんどくさがらないで欲しい。」

そして、私にはこんな話をしてくれた。

「まだまだ道半ば。常に前を向き、歩みを止めることなく、今の時代で『稼げるモデル』の道筋を4代目に作ってあげたい」

世界に1つだけの長崎蚊焼(かやき)包丁作り体験

この伝統を絶対に灯を絶やしてはならない。私は桑原家に出会い、強く思った。だからこそ、この記事を最後まで読んでくれた皆さまには、ぜひ、足を運んでほしい。